AIに物理を証明させたら —— 計算機援用証明とハルシネーションの帳簿
本稿の位置づけ
本ブログの「量子もつれ攻略ノート」は、三体系のモノガミー予想 M3'()という未解決の数学的問題に、AIと数値実験・計算機援用証明で挑む長期の試みだった。本稿はその舞台裏——AIに物理と数学を証明させると、実際に何が起き、何がうまくいき、どこで必ず転ぶか——を方法論として記録する。宣伝ではなく帳簿である。うまくいった手も、必ず犯す誤りも、同じ精度で書く。
1. 前提:AIは「証明を思いつく機械」ではない
まず誤解を解く。大規模言語モデルに「この予想を証明して」と投げても、正しい証明は出てこない。AIは尤もらしいテキストを生成する機械であり、尤もらしい嘘(ハルシネーション)と正しい証明を、それ自身では区別できない。数学の証明は一箇所の誤りで全体が崩れるので、この性質は致命的に見える。
にもかかわらず攻略ノートで定理が14個取れたのは、AIを「証明を思いつく機械」ではなく、「反証可能な主張を大量に生成し、機械的な検証器にかけ、通ったものだけを残すループ」の運転者として使ったからである。鍵は一貫して同じだった——主張の正しさを、AIの自信ではなく、AIの外にある検証器に担保させる。
2. うまくいった三つの手
手① 数値探索の進化:山登り → 凸最適化
最初の武器は数値探索だった。「予想の反例を探す」「証書(証明の核)が存在するか探す」を、パラメータ空間の山登りでやる。だがこれは弱い。攻略ノートの序盤、証書探索は違反 前後で停留し、実行不能なのか探索器が弱いだけなのか判別できなかった。
転機は、問題を凸実行可能性問題として定式化し直したことだ。証書問題「 かつ 」は三つの凸集合の共通部分を探す問題であり、Dykstraの交互射影法という収束保証つきの標準手法が使える。共通部分が空でなければ収束し、空なら違反が正値で停留する——つまり実行可能/不能の判定器になった。曖昧な数値が、白黒つく判定に変わった。AIの仕事は「山登りを回す」から「正しい数学的道具を選んで適用する」に上がった。
手② 計算機援用証明:中心形式による二乗収束
数値で「反例がない」ことは証明ではない。四色定理やケプラー予想と同じ計算機援用証明——解析的な骨格に落とし、有限個の検証可能な数値評価に分解する——が要る。攻略ノートでは回転族の単調性を、有理数の区間演算で厳密に検証する設計にした。浮動小数の丸めに一切依存しない、分数演算だけの証明である。
だが素朴な実装は失敗した。区間演算は「依存性問題」で誤差が発散し、13万個の箱を調べて3万個が未解決のまま止まった。救ったのは中心形式(値を中心の分数で厳密に、勾配を粗い区間で評価する手法)で、誤差が箱幅の二乗で縮む。同じ領域が1,925箱・10秒・未解決ゼロで閉じた。ここでのAIの役割は、失敗した実装の症状(どの箱が、なぜ未解決か)を診断し、既知の技法(中心形式)を正しく実装することだった。
手③ 発想の転換:8秒の証明
最も「知能」が効いたのはここだ。回転族の証明は「 の単調性を証明する」という筋で進み、退化角という特異点に阻まれていた。転換は、単調性を証明する代わりに、証明したい不等式(margin)そのものを直接検証対象にすることだった。すると障害だった退化角は「marginがただの正の値をとる普通の内点」になり、境界の特異性が消えた。実行結果は3,253箱・8秒・未解決ゼロ——それまで詰まっていた証明が、対象を選び直しただけで一気に落ちた。
これは公式の当てはめではなく、問題の見方を変える種類の仕事で、AIが実際に貢献できる領域である。ただし——次節が重要だ——この種の「賢い一手」こそ、間違っているときも同じくらい尤もらしく見える。
3. 必ず犯す誤り、そしてそれを裁くもの
攻略ノートには、AIが犯した誤りが正直に埋め込まれている。代表を二つ挙げる。
拘束イデアルの見落とし。ある補題で、多項式が別の多項式を「割り切る」という恒等式を主張した。だが初回の数値検証は恒等式の不成立を返した。原因は、変数間の物理的な拘束()を無視して独立変数として格子を張ったことだった。余りの符号が拘束を境に反転するパターンから、「拘束の上でだけ成立する恒等式」だと診断し直した。教訓:変数間の拘束はイデアルとして正しく法に取らねばならない。
共役の付け間違い。別の岸辺の解析で、ある摂動係数の閉形式を導いたが、数値照合が違反例を出した。切り分け——他の量は厳密に一致する→誤りは一つの係数に局在する→候補式を三つ機械照合する——で、複素共役の付き方を一箇所間違えていたと判明し、 一致する正しい式を回収した。
この二つに共通する規律が、攻略ノート全体を貫く一文に集約されている:
式は数値が裁く。
AIが導いた式は、それがどれほど美しくても、必ず独立の数値計算と照合する。合わなければ式が間違っている(テストではなく実装=式を直す)。この規律があるから、AIのハルシネーションが最終成果に混入しない。AIの生成物を信じず、AIの外の検証器を信じる——これが「AIに証明させる」ことの技術的な核心である。
4. 並列エージェントという道具
もう一つの実用的な発見は、複数のAIエージェントを分業させることの威力だ。攻略ノートを後日3本に再構成した作業では、41本・19万字を3体のエージェントに並列で読ませ、それぞれに「定理・数式・数値・失敗の記録・文体を保ったダイジェスト」を作らせた。一つのモデルの文脈に収まらない量の情報を、分割して並列処理し、統合する。人間のチームがやることを、そのままAIのチームでやる。ここでも検証は効く——各ダイジェストの主張は元の記事と照合できる。
5. 最も重要な帳簿 ——「できない」と言わせる価値
本稿を書く直前、私は「反重力装置の理論と設計を作ってほしい」という依頼を受けた。AIは、尤もらしい反重力理論の設計書を書くことができる。数式を並べ、それらしい機構を説明し、特許出願書の体裁を整えることは、技術的には可能だ。
だが書かなかった。既知の物理(等価原理の 検証、正エネルギー定理、量子エネルギー不等式、ANEC定理)が、その的を全方向で閉じているからだ。動かないことが最初からわかっている設計書を「実現可能」として渡すのは、依頼者の時間と金を確実に失わせる。
これが、AIで数学・物理をやることの最も重要な教訓だと私は考えている。能力が上がるほど、尤もらしい嘘を作る能力も上がる。区別を担保するのは、AI自身の自信ではなく、外部の検証器——数値計算であり、実験事実であり、証明された定理である。攻略ノートで「正値性なしではモノガミー予想は偽」と障害定理を立てたのと、「反重力は四つの壁が閉じている」と言うのは、同じ規律の適用だ。何ができ、何ができないか、なぜできないかに、正確に座標をつける。証明を生成することと同じくらい、これが仕事の質を決める。
6. 帳簿の締め
| AIで | できること | できないこと |
|---|---|---|
| 数値探索 | 反例・証書の探索、判定器の運転 | 「反例がない」を証明と誤認する |
| 計算機援用証明 | 検証器の実装、失敗の診断、技法の適用 | 検証器なしに正しさを保証する |
| 発想の転換 | 対象の選び直し、見方の変更 | 賢い一手が正しいと自己判定する |
| 統合・レビュー | 大量情報の並列処理と統合 | 照合せずに内容を保証する |
| 判断 | できない理由に座標をつける | 願望に合わせて物理を曲げる |
結論はこうだ。AIは物理と数学の証明に本当に役立つ——ただし「証明を思いつく機械」としてではなく、「反証可能な主張を大量に生成し、外部の検証器にかけ続けるループの運転者」としてである。うまくいくかどうかは、AIの賢さよりも、AIの生成物を裁く検証器をどれだけ厳格に外部に置けるかで決まる。式は数値が裁き、装置は実験が裁き、理論は既知の定理が裁く。その裁きを省いた瞬間、尤もらしい嘘が成果物に混入する。攻略ノートで14個の定理が取れたのは、AIが賢かったからではなく、AIを一度も信じなかったからである。
参考文献・出典
- 本ブログ「量子もつれ攻略ノート」全13回(本稿で述べた手法・失敗・定理はすべてこのシリーズの記録に基づく)。
- 本ブログ「反重力は作れるか —— 七つの抜け穴と四つの壁の帳簿」(「できないと言わせる価値」の実例)。
- J. P. Boyle, R. L. Dykstra (1986);H. H. Bauschke, J. M. Borwein, SIAM Review 38 (1996) 367:交互射影法。
- T. C. Hales et al., A formal proof of the Kepler conjecture, Forum of Mathematics, Pi 5 (2017) e2:計算機援用証明の標準作法(Flyspeck)。
- K. Appel, W. Haken (1977):四色定理(計算機援用証明の嚆矢)。
- R. E. Moore, Interval Analysis (1966);区間演算と中心形式の基礎。