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重力は深さ2に書けるか —— BMV実験という的 —— 量子もつれ攻略ノート(5)

重力は深さ2に書けるか —— BMV実験という的

—— 量子もつれ攻略ノート(5)——

本稿の位置づけ

前稿は理論の内部監査(モノガミーの通貨問題)だった。本稿は外へ出る。棚卸しで挙げた謎のうち、実験の手が届きつつある唯一の的——重力はもつれを作れるか——を扱う。

この問いが重い理由:物理学の未解決問題の筆頭「重力は量子か」に、加速器も宇宙観測も使わず、卓上実験で最初の答えを出せる可能性があるからである。しかも判定のロジックは、本シリーズが第1〜3稿で組み立てた道具(no-signaling・LOCC・もつれ検証)そのものでできている。攻略ノートとして、理論部分を全部自分の手で計算し直す。


1. 論法:もつれは古典チャネルでは作れない

1.1 LOCC定理

量子情報理論の基礎定理から始める:

定理(LOCCはもつれを作れない) 局所操作と古典通信(LOCC: Local Operations and Classical Communication)だけでは、分離可能な状態からもつれた状態は作れない。

直観は帳簿である:もつれ=深さ2の量子相関は、第2稿で見たとおり古典相関(1ビット)より真に強い(2ビット・)。古典チャネルが運べるのは定義により古典相関までであり、深さ2の倉庫に量子の2ビット目を書き込めない

1.2 転回:これを重力の検査に使う

Bose ら [Bose et al. 2017] と Marletto–Vedral [Marletto–Vedral 2017] の転回は鮮やかだった:

  1. 二つの質量を、それぞれ位置の重ね合わせに置く(各質量が量子ビットになる:左=、右=)。
  2. 二つの質量の間に働く相互作用が重力だけになるよう設計する。
  3. もし重力が「古典的な媒介」(測定して古典情報を送り返す類のチャネル)なら、LOCC定理により二つの質量は決してもつれない
  4. ゆえに、もつれが検出されたら、重力は古典チャネルではない——重力は量子情報(深さ2の書き込み)を運べる。

本シリーズの言葉で言えば、この実験は自然への一問である——重力というペンは、深さ2に書けるか。

Feynmanが1957年のChapel Hill会議で夢想した「重ね合わせた質量の重力」の問い [DeWitt–Rickles 2011 に記録] が、60年を経て具体的な実験設計になった。

2. 理論計算:もつれはどれだけ生成されるか

2.1 セットアップと位相

各質量 を距離 だけ離れた2経路の重ね合わせにし、時間 だけ隣に並べて飛ばす(中心間距離 )。4つの分岐 はそれぞれ異なる距離で重力相互作用し、異なる位相 を拾う。状態は

位相が の形に分解できるなら積状態(もつれなし)。分解できない分——

——だけが、もつれとして残る。

2.2 数値:現実的パラメータで計算する

Boseらの提案パラメータ(質量 kg( 原子程度のダイヤモンド微粒子)、m、m、自由落下 s)で全部計算した:

生成されるもつれ(concurrence)は2通りで計算して照合した:

計算法
状態から直接
理論式

さらに、このもつれがベルテストに掛かるかを、これも独立2手法で:

計算法 最大CHSH
Horodecki判定(相関行列の特異値、)[Horodecki³ 1995]
Gisinの公式 [Gisin 1991]

:ベル違反可能な量のもつれが、たった2.5秒の重力相互作用で生成される。 実際の実験ではベルテストより緩い「もつれ証人(witness)」で十分であり、 は原理的に十分検出圏内である。

2.3 感度:どこを頑張ると効くか

パラメータ [rad]
kg, s
kg, s
kg, s
kg, s

質量が1桁軽いと位相は2桁落ちる()——質量こそが主戦場である。一方で質量を上げるほど重ね合わせの維持(デコヒーレンス対策)が桁違いに難しくなる。この綱引きが、実験が「提案から10年近く経ってもまだ実現していない」理由そのものだ。

3. 難所と抜け穴:正直な監査

理論は上の通り堅い。難所はすべて実装側にある:

  1. 巨視的重ね合わせの維持 kg の物体を250 μm 離れた2箇所の重ね合わせに2.5秒置く——現在の記録(分子レベルの干渉 [Fein et al. 2019]、浮上ナノ粒子の基底状態冷却 [Delić et al. 2020])から、なお数桁の前進が要る。残留ガス・黒体輻射・重力勾配ノイズとの戦い。
  2. Casimir力の排除。重力以外の相互作用が混ざると論法が崩れる。m という設計はCasimir力を重力より小さく抑えるための下限であり、導体シールドを挟む改良案もある [van de Kamp et al. 2020]。
  3. 論法側の抜け穴。「もつれ検出=重力の量子化の証明」への反論も検討されている:LOCC論法が排除するのは「局所的古典媒介」であり、非局所的な古典理論までは殺せない、位相は近接場のポテンシャルであり重力子(放射)の証拠ではない、等 [議論の整理として Kafri–Taylor–Milburn 2014; Galley–Giacomini–Selby 2022]。実験成功時に主張できるのは正確には「重力は古典チャネルとして振る舞わない」であり、それでも十分に歴史的である。

なお「質量同士の重力を測る」だけなら、mm級の金球(90 mg)間の重力測定が2021年に達成済み [Westphal et al. 2021]——古典重力の測定技術は指数的に小型化しており、量子側との合流点にBMVがある。

4. まとめと、この的の価値

部品 状態
LOCC定理(古典チャネルはもつれを作れない) 定理
もつれ検出 ⟹ 重力は古典チャネルでない、の論法 確立(抜け穴の限定は明示済み)
rad、、CHSH (2手法一致) 本稿で検証済み
感度則 と主戦場の特定 本稿で計算
実験の実現 未達成(進行中の国際競争)

第1稿で「測定は何も送らない」を、第2稿で「もつれは古典相関より真に強い」を確立した。本稿の的はその応用問題である——その「真に強い相関」を書き込むペンとして、重力は使えるのか。 使えたなら、重力が量子情報を運ぶ最初の証拠であり、量子重力理論への実験的な第一歩になる。棚卸しで「解決できたらノーベル賞級」と書いた理由がこれである(実験家たちの的であって当ノートが解ける的ではないが、理論の帳簿を自分の手で検算しておくことには価値がある——検算した者だけが、結果が出た朝に数字の意味を即座に読める)。

シリーズの次の的は、棚卸しの残り——NPT束縛もつれ(数値実験で遊べる最古の未解決)——が有力候補である。

参考文献

  • S. Bose, A. Mazumdar, G. W. Morley, H. Ulbricht, M. Toroš, M. Paternostro, A. Geraci, P. Barker, M. S. Kim, G. Milburn, Spin entanglement witness for quantum gravity, Phys. Rev. Lett. 119 (2017) 240401。
  • C. Marletto, V. Vedral, Gravitationally induced entanglement between two massive particles is sufficient evidence of quantum effects in gravity, Phys. Rev. Lett. 119 (2017) 240402。
  • D. Kafri, J. M. Taylor, G. J. Milburn, A classical channel model for gravitational decoherence, New J. Phys. 16 (2014) 065020:古典チャネル重力の定式化。
  • T. D. Galley, F. Giacomini, J. H. Selby, Quantum 6 (2022) 779:論法の前提の精密化。
  • R. Horodecki, P. Horodecki, M. Horodecki, Phys. Lett. A 200 (1995) 340:CHSH最大値の判定式。
  • N. Gisin, Phys. Lett. A 154 (1991) 201:純状態のベル違反。
  • T. Westphal, H. Hepach, J. Pfaff, M. Aspelmeyer, Measurement of gravitational coupling between millimetre-sized masses, Nature 591 (2021) 225。
  • Y. Y. Fein et al., Nat. Phys. 15 (2019) 1242:25 kDa分子の干渉。U. Delić et al., Science 367 (2020) 892:浮上ナノ粒子の運動基底状態冷却。
  • T. W. van de Kamp, R. J. Marshman, S. Bose, A. Mazumdar, Phys. Rev. A 102 (2020) 062807:Casimir遮蔽つき設計。
  • C. DeWitt, D. Rickles (eds.), The Role of Gravitation in Physics: Report from the 1957 Chapel Hill Conference:Feynmanの原初の問い。