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連載「量子もつれ攻略ノート」 2/13

ベルの定理と Tsirelson 限界 2√2 —— 量子もつれ攻略ノート(2)

本稿の位置づけ

前稿で疑問を「伝達説A/記録説B」に分解し、Aをno-signaling定理で否定した(機械精度 の数値検証つき)。残るは記録説B、つまり量子もつれは局所隠れ変数(あらかじめ書かれた答えの表。Bellはこれを「Bertlmannの靴下」の比喩で語った [Bell 1981])と同じかどうか。本稿はこれに白黒をつける。結論を先に言えば、答えの表では説明できない。しかも「どれくらい説明できないか」が、 という具体的な数で測れる。


1. ベルの発明:形而上学を不等式に変える

「答えが最初から決まっていたかどうか」は、一見すると実験で確かめようのない形而上学に見える。決まっていた答えを読んでも、決まっていなかった答えがその場で決まっても、出てくる数字は同じではないか?

Bellの天才は、測定の向きを選べることに目をつけた点にある [Bell 1964]。AliceとBobがそれぞれ2通りの測定(Aliceは 、Bobは 、結果は±1)をランダムに選ぶとき、相関の組み合わせ

は結果の積の期待値。CHSH量と呼ぶ [Clauser–Horne–Shimony–Holt 1969])を考える。

1.1 答えの表があるなら :総当たりで確認

「あらかじめ答えが決まっている」とは、各粒子ペアが4つの値 (どの向きで測られても出す答え)を持って生まれてくることである。この決定論的戦略は 通りしかない。全部試した:

理由は式を組み替えると見える: と書けて、 のどちらかは必ず0になる(二つが同符号なら差が、逆符号なら和が消える)。残る項は高々2である。確率的に混ぜても凸結合なので上限は変わらない。

Bell–CHSH不等式 答えの表(局所隠れ変数)で説明できる相関は、必ず

1.2 量子は を出す:数値検証

もつれた2粒子の状態のひとつ、シングレット状態 をとる。測定角 の相関は になる(検証:、理論値と10桁一致)。最適な角度()を選ぶと:

答えの表では作れない相関である。つまり、深さ2に書き込まれているのは「あらかじめ決まった答えの表」ではない。ただしここまでは量子力学の予言である。自然が本当にそちらを選ぶかは、次項で実験に問い合わせる。

1.3 自然への問い合わせ結果

これは思考実験ではない。実験は繰り返し行われ、常に量子側の予言が実現している:

  • Aspectらの実験(1982)[Aspect–Grangier–Roger 1982]:偏光子を高速切替してCHSH違反を確認。
  • 抜け穴なし実験(2015):通信の抜け穴と検出の抜け穴を同時に塞いだ3つの独立実験 [Hensen et al. 2015; Giustina et al. 2015; Shalm et al. 2015] がいずれも違反を確認。
  • この一連の業績に2022年のノーベル物理学賞(Aspect, Clauser, Zeilinger)。

自然は を出す。局所的な答えの表は、この宇宙の実装ではない。

2. ではなぜ で止まるのか:Tsirelson限界

量子が2を超えるなら、いくらでも超えられるのか? CHSHの代数的な最大値は4である(4項すべてが±1の極値を取る場合)。ところが量子力学はぴったり で止まる。これはTsirelsonの定理 [Tsirelson 1980] で、鍵は演算子の恒等式

にある( はCHSHに対応する演算子、 は交換子=順序を入れ替えた差)。数値検証:

  • 最適測定でのCHSH演算子の固有値:、厳密に一致)
  • 恒等式の残差:

読み下すとこうなる。古典(すべてが可換=交換子ゼロ)なら で、上限は2。量子の超過分は測定順序の非可換性そのものである。

超過分の上限は二段で出る。まず交換子1個。 はエルミートで だから 、よって (Bob側も同じ)。つぎにテンソル積のノルムは各因子のノルムの積なので、4になるのは交換子2個を組んだ後であって、交換子1個で4になるのではない。 この4を恒等式に入れて 、すなわち となる。

前シリーズの読者には既視感があるはずだ。前シリーズ第6部第5章で「三つの上限」(カオス限界・量子速度限界・セクター飽和)が「率×解析性の幅≦普遍定数」という同じ型に整理された(指数の水準までで、定数そのものを与える部分は予想の段階である)。Tsirelson限界もまた「非可換性が許す超過の上限」という同型の上限である。

3. 深さで数える:同じ深さ2に、入る情報量が違う

「局所隠れ変数ではない」を、前シリーズの深さの語彙で定量化しておく。2粒子系で深さ2(ペアの相関)に置ける情報量を、量子と古典で比べる:

状態相互情報量
Bell状態(量子もつれ)1.0000001.0000000.0000002.000000 ビット
古典相関(00/11を半々)1.0000001.0000001.0000001.000000 ビット

どちらも「片方だけ見ると完全にランダム、比べると完全に相関」だが、同じ深さ2に、古典は1ビット、量子は2ビット入る。この超過1ビットが「もつれ」の正体を数で表したものであり、しかも実際に使える。もつれた粒子を1個送るだけで古典2ビットを伝える超高密度符号化 [Bennett–Wiesner 1992] は、この容量差をそのまま通信性能に変換したプロトコルである。

まとめると、深さ2に書き込まれているのは答えの表(古典・1ビット)ではなく、どの測定の組に対しても を返す相関関数そのもの(量子・2ビット)である。古典の表では までしか実現できない強さの相関だ。

4. 残った仕事

Q2(局所隠れ変数か)は「No」で確定した。だが、まだ終わらない:

  1. 相関は無限に配れるのか:答えの表なら何部でも複製できる。量子の相関には配分制限(モノガミー)があるはずで、それが「資源」としての実体を与える。
  2. なぜ なのか、の一段深い理由:no-signalingだけなら4まで許されることを見る(PRボックス)。自然が を選んだ理由は何か。
  3. Q3(では何なのか)への最終解答:ここまでの部品(飛ばない・表でもない・ の相関関数)を機構として組み上げる。

次稿(最終稿)でこの三つを、この順で片づける。

5. 本稿の結果一覧

結果等級
局所隠れ変数の上限 (全16戦略の総当たり)検証済み(全数)
シングレットの (10桁一致)検証済み
実験による違反確認確立された事実(2015抜け穴なし・2022ノーベル賞)
Tsirelson恒等式 (残差 )と固有値 検証済み
深さ2に入る情報量:古典1ビット/量子2ビット検証済み
量子もつれ=局所隠れ変数説棄却

参考文献

  • J. S. Bell, Physics 1 (1964) 195:ベルの定理の原論文。
  • J. F. Clauser, M. A. Horne, A. Shimony, R. A. Holt, Phys. Rev. Lett. 23 (1969) 880:CHSH不等式。
  • B. S. Tsirelson, Lett. Math. Phys. 4 (1980) 93:量子上限
  • A. Aspect, P. Grangier, G. Roger, Phys. Rev. Lett. 49 (1982) 91:初期の決定的実験。
  • B. Hensen et al., Nature 526 (2015) 682;M. Giustina et al., PRL 115 (2015) 250401;L. K. Shalm et al., PRL 115 (2015) 250402:抜け穴なしベルテスト。
  • C. H. Bennett, S. J. Wiesner, Phys. Rev. Lett. 69 (1992) 2881:超高密度符号化。
  • M. A. Nielsen, I. L. Chuang, Quantum Computation and Quantum Information, Cambridge UP (2000)。