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連載「量子もつれ攻略ノート」 3/13

機構の解答と、残る本物の謎 —— 量子もつれ攻略ノート(3・結)

本稿の位置づけ

最終稿。第1稿で「何も飛んでいない」(no-signaling・)、第2稿で「答えの表でもない」(ベルの定理・)を確定させた。残った仕事は三つ。相関の配分制限(モノガミー)の検証、「なぜ で止まるのか」の一段深い理由、そして機構としての最終解答である。今回も検証はすべて素のPythonで再現できる。


1. 相関は配分制である:モノガミーの検証

1.1 局所隠れ変数との最後の違い

あらかじめ決まった答えの表なら、相関は好きなだけ複製できる。同じ表を100人に配れば、100人全員がその答えと完全相関した情報を持てる。量子の相関はどうか。

CKWモノガミー不等式 [Coffman–Kundu–Wootters 2000] 3粒子系で、AとBのもつれ(タングル )とAとCのもつれ の合計は、AがBとCをひとまとめの相手として持つもつれの総量(下の右辺)を超えられない:

AがBと最大にもつれたら、Cとは一切もつれられない。相関は無限にコピーできる「情報」ではなく、総量規制つきで配分される「資源」である。

1.2 数値検証

ランダムな3量子ビット純状態2,000個で左辺−右辺の最大値を調べた:

配分の両極端も確認した:

状態読み
GHZ 001総量をすべて三体の相関に置き、二体にはまったく配らない
W 4/94/98/9二体に均等配分して等号達成(上限まで使い切り)

GHZは「深さ3にすべてを置いた」状態、Wは「深さ2に配り切った」状態である。前シリーズの深さごとの数え上げが、ここでは配分表として働いている。

このモノガミーは実用の根拠でもある:もつれを配って鍵を作る量子鍵配送 E91 [Ekert 1991] の安全性は、「盗聴者Eveが相関を盗めば、その分だけ正規ペアの相関が必ず減る(総量規制)」ことに依っている。あらかじめ決まった答えの表なら、盗み見てもバレない。量子の相関は、盗むと配分の総量が合わなくなる。

ここでモノガミーが効くのは、もつれを使うE91の側である。より古いBB84 [Bennett–Brassard 1984] はもつれを一切使わず、送信側が単一光子を用意して送る prepare-and-measure 方式で、安全性の根拠が別物になる。こちらは、Eveが正しい基底を知らずに測ると状態そのものが乱れ、その擾乱が受信側の誤り率として現れるという情報‐擾乱トレードオフに依る。モノガミーは共通の説明にならないので、二つを一括りにしない。

2. なぜ で止まるのか:PRボックスと情報因果律

2.1 no-signalingだけでは足りない

「光速通信ができない範囲で最強の相関」が量子だ、と考えたくなる。これは間違いで、反例が構成できる。PRボックス [Popescu–Rohrlich 1994] という架空の装置である。AliceとBobがそれぞれ手元の箱に1ビットの入力 を入れると、1ビットの出力 が返る( がAliceの出力、 がBobの出力)。各自の出力は単体では完全にランダムな半々だが、二人の出力のあいだには必ず

が成り立つ。 は排他的論理和(値が違えば1、同じなら0)、 は入力の積、つまり論理積である。読み下せば「二人の入力がともに1のときだけ出力が食い違い、それ以外の3通りでは必ず一致する」という装置になる。これを定義通りに組んで計算すると:

(検証:定義通りに全16通りの入出力確率を組んでCHSHを計算、ちょうど4.0)。つまり「信号を送れないこと」は相関の強さを までに制限しない。自然はPRボックスを作れたはずなのに、作らなかった。なぜか。

2.2 情報因果律

現在知られている最良の答えが情報因果律 [Pawłowski et al. 2009]:「 ビットの古典通信を受けた受信者が得られる情報は ビットまで」という原理である( がno-signaling、その自然な拡張)。この原理を課すと、相関の上限としてちょうど が導かれる。PRボックスが実在すると、1ビットの通信で2ビット以上を引き出せる「情報の錬金術」が可能になってしまい、情報因果律が壊れる。

第2稿の深さごとの情報量と並べると、この原理の位置が見える。量子は深さ2に古典の2倍(2ビット)を置けるが、取り出せるのは1ビットの通信につき1ビットまでである。蓄えられる量は倍でも、取り出しの規則は古典と同じ。その取り出し規則の名が情報因果律であり、 はこの規則が許す最大の相関の強さである。ただし「情報因果律だけから量子力学のすべてが出るか」は未解決の研究課題であり、ここは正直に「有力な部分解」と等級づける。

3. 機構の解答

部品が揃った。最初の疑問「なぜ片方を測ると、もう片方が瞬時に決まるのか」への解答を、五つの部品で組み上げる。

  1. 何も飛ばない(第1稿・定理+)。Aliceの操作はBobの物理を変えない。光速の上限は最初から破られていない。
  2. 相関は生成時に、局所的に書き込まれる(第1稿)。2粒子が同じ場所で相互作用したときに、深さ2(ペアの相関)に記録が置かれる。以後、記録は動かない。粒子が運ぶのは記録の「自分側の断片」である。
  3. その記録は答えの表ではない(第2稿・全数検査+実験)。表なら 。自然は を出す。深さ2に置かれているのは、どの測定の組にも で応える相関関数そのものであり、古典(1ビット)の2倍の容量を使っている。
  4. 強さには上限がある(第2稿・第3稿)。非可換性の恒等式が を課し(Tsirelson)、その値は情報因果律の取り出し規則と整合する。さらに相関は配分制(モノガミー・2000例検証)で、無限にコピーできる古典情報と資源として区別される。
  5. 「瞬時」の正体は条件つき分布の更新(第1稿)。読み出しの完成(二つの断片の照合)には古典通信が必要で、そこで光速が守られる。

解答 「片方を測るともう片方が瞬時に決まる」のではない。ペア生成のときに深さ2へ局所的に書き込まれた相関関数を、それぞれが自分側から読んだだけである。飛ぶものは何もなく、答えの表もなく、あるのは古典より強い(しかし を上限とし、配分制限つきの)相関関数である。アインシュタインの「不気味な遠隔作用」は、作用ではなかった。不気味さの実体は、遠隔にあるのではなく、深さ2という置き場所が日常の直観(深さ1の世界)にないことにあった。

前シリーズの最終章(第7部第9章)はブラックホールについて「情報は動かない、地平が動く」と書いた。もつれの解答は同じ動詞の訂正の親戚である。情報は飛ばない、最初から深さ2にある。

4. 残る本物の謎:正直な等級づけ

疑問の主要部は解決したが、すべてが解けたと言うのは誠実でない。残っているものを明示する:

問い状態
何かが飛んでいるか解決(no-signaling・定理)
答えの表か解決(ベル・実験で棄却)
相関の強さの上限とその理由解決〜有力な部分解(Tsirelson定理は厳密。情報因果律→量子の完全な公理化は進行中)
相関の資源性(配分・盗聴検知)量子ビットでは定理(CKWモノガミー。一般次元では成否が測度の選択に依る → 第4稿)
測定でなぜ一つの結果が選ばれるのか未解決(測定問題)

最後の行が、本物の謎である。本シリーズの解答は「相関はどう保存され、どう読まれるか」を完全に説明するが、「読んだとき、重ね合わせのどちらか一方がなぜ・どのように現実になるのか」には触れていない。これは量子力学の解釈問題(コペンハーゲン、多世界、QBism、客観的収縮…)そのものであり、現時点で実験で判別できる差を持つ提案は限られている [レビューとして Zurek 2003]。もつれの疑問の「不気味さ」の最後のひとかけらは、実はもつれ固有のものではなく、量子測定そのものの謎だった。疑問を解剖し切った結果として、残ったものがどの棚に属するかまで特定できたことを、本シリーズの成果として記録する。

5. シリーズの結び

三稿の総括:2件の定理の数値検証(no-signaling 、Tsirelson恒等式 )、全数検査1件(隠れ変数16戦略)、10桁一致1件()、統計的検証1件(モノガミー2000例)、反例構成1件(PRボックス)。疑問「なぜ瞬時に決まるのか」は、「瞬時に何も起きていない。作られたときに深さ2に書き込まれた、古典より強く・上限と配分制限のある相関関数を、二つの断片が揃って読めるようになってから読んだだけ」と解答された。残る謎は測定問題として棚が特定された。

なお本稿は、執筆時点ではここで完結する予定だった(実際にはこの直後、本稿1章で2,000例を検証したCKWモノガミー不等式が量子ビットに限った定理であり、3準位系では反例をもって破れることが分かって、連載は再開する。第4稿参照)。

参考文献

  • V. Coffman, J. Kundu, W. K. Wootters, Phys. Rev. A 61 (2000) 052306:モノガミー(CKW)不等式。
  • A. K. Ekert, Phys. Rev. Lett. 67 (1991) 661:もつれベースの量子鍵配送(E91)。
  • C. H. Bennett, G. Brassard, Quantum cryptography: Public key distribution and coin tossing, Proc. IEEE Int. Conf. on Computers, Systems and Signal Processing, Bangalore (1984) 175:BB84(もつれを使わない prepare-and-measure 方式)。
  • S. Popescu, D. Rohrlich, Found. Phys. 24 (1994) 379:PRボックス。
  • M. Pawłowski, T. Paterek, D. Kaszlikowski, V. Scarani, A. Winter, M. Żukowski, Information causality as a physical principle, Nature 461 (2009) 1101:情報因果律。
  • B. S. Tsirelson, Lett. Math. Phys. 4 (1980) 93。
  • W. H. Zurek, Rev. Mod. Phys. 75 (2003) 715:デコヒーレンスと測定問題のレビュー。
  • W. Dür, G. Vidal, J. I. Cirac, Phys. Rev. A 62 (2000) 062314:GHZ/W状態の分類。
  • 前シリーズ「発散情報保存理論」第7部第9章:「情報は動かない、地平が動く」。